大石神社 大石神社は元禄赤穂事件において討ち入りをした大石 内蔵助ら赤穂浪士を祀る神社です。江戸時代には江戸幕府にはばかって表立って顕彰することはできませんでしたが、1868年(明治元年)、明治天皇が赤穂浪士の墓のある泉岳寺に勅使を遣わしこれを弔って以降、赤穂と京都に赤穂浪士を祀る神社が創建されました。 |
息継ぎ井戸 江戸での浅野内匠頭による刃傷事件の第一報を知らせるため、元禄14年3月14日の夕刻に赤穂藩士、早水藤左衛門、萱野三平が早かごで江戸を出発。赤穂城下に着いたのは3月19日の早朝でした。 155里(約620km)の行程を4昼夜半早かごに揺られ続けた両人は、城下に入りこの井戸の水を飲んで一息ついたといわれ、以来、息継ぎ井戸と呼ばれています。 |
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義士あんどん → 高さ4mの時計台は、午前9時から午後8時までの毎正時、太鼓の音とともに時計台の下の扉が開き、からくり人形による忠臣蔵の一幕が繰り広げられます。 松の廊下事件から早かご、討入達成まなど、舞台が回るたびに繰り出される約3分間の忠臣蔵を、ぜひ一度ご覧ください。 花岳寺 ↓ 正保2年(1645年)浅野長直公が常陸笠間から赤穂へ所替えになった時、浅野家の菩提寺として建てられました。義士墓所が建てられたのは元文4年(1739年)義士の37回忌の時です。伝によると、墓には赤穂義士の遺髪が埋められています。 墓の順番は右から格式順に建てられています。 一番最後の順の寺坂吉右衛門は、建立当時は存命中であり、後年、森家の同じく足軽であった野山斧右衛門によって建てられました。 ちなみに、赤穂義士の法名の頭字には刃の字があります。 しかし寺坂吉右衛門の場合、切腹をしていないので刃の字がありません。 普通の法名となっています。 |